はじめに、町内に残る旧道及び旧道に残る史跡について書いてみました。
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御宿町及び近隣の文化財
石造物
現在では忘れられた、歴史の道である房総往還を御宿町、いすみ市内を歩きました。
この道に残っている石造物を見学してみました。こちらは御宿町といすみ市の境に
残る馬頭観音であります。
旧道と新道との分岐点
この地は現在、国道128号線が主要な道路になっていますが、かつては左右の道が往時の道路(旧道)であります。当時は県道であった、とのことです。現在と比べて通行量もきっと少なかったのでしょうね。昭和30年代にはこの道路で自転車乗りの練習も出来て,まさしくのんびりとした光景だったことでしょう。
殉職者の碑
旧道のこの地に建つ碑は昭和40年代、訓練のため確か自衛隊習志野駐屯地から館山方面に向かう途次、運転操作を誤って車両がこの碑の下をはしるJR外房線(当時は国鉄外房線)の軌道内に落下し、炎上し若き自衛隊員が亡くなられた事故を後世に伝えるものです。 現在、春と秋のお彼岸のまえには、自衛隊の方が見えられて付近の草刈り、掃除をされてる様子を見かけることがあります。尚,碑には昭和41年3月25日の日付が刻まれております。
艱難辛苦のこと
旧道のこの辺りは昼なお暗く樹々が生い茂った地であります。ゆるやかな長いこの坂道を確か?辛苦坂とよばれてました。
この辺りの通行人を狙った追い剝ぎの出現、火葬場跡とかちょっと怖さを感じるところであります。
サンドスキー場のこと・行人坂
このサンドスキー場とは、かつては砂山の豊富な砂を利用してのスキー場が作られており、多くのひとたちにとってのかっこうのレジャー施設であった、とのことです。現在は利用される人もなくかつての面影は感じられません。なお、この近くを太平洋(網代湾)方向に下る坂道が行人坂とよばれてました。由来は、この坂道近くにある寺院に関わる坂名かと思います。
旧道に残る坂道
御宿から勝浦へ至る房総往還の途次、御宿町浜地区には現在では見向きもされず、忘れ去られた坂道”馬坂”が残ってます。
きっと、往時には馬が交通手段として盛んであった頃の命名であったことでしょうか。現在では、地元の方にも忘れられた坂道であります。